数秒の音声サンプルがあれば、本人そっくりの声を作れる時代になりました。歌わせたことのない歌を歌い、言ったことのない言葉を語る「自分の声」が、ある日ネット上に現れる ‐ 声優・歌手・VTuber・ナレーターにとって、これはもうSFではありません。本コラムでは、エンターテインメント業界で働く皆さまからよくいただく質問に答える形で、筆者が提唱している「声格権(せいかくけん)」という考え方をご紹介します。
Q1 そもそも「自分の声」に権利はあるのですか?
意外に思われるかもしれませんが、声そのものをズバリ守る法律は、日本にはまだありません。有名人の名前や姿の経済的な価値を守るルール(パブリシティ権)、歌や演技という「実演」を守る著作権法の仕組み、不正な商売を防ぐ法律 ‐ こうした既存の道具を寄せ集めて対応しているのが現状です。国の検討会でも声の保護についての整理が進められていますが、それも「今ある法律をどう読むか」の話であり、声のための新しい権利を作るものではありません。
Q2 「声格権」とは何ですか?
筆者が提唱している、声を守るための新しい権利の考え方です。核心はシンプルで、声には二つの顔がある、という点にあります。一つは、勝手に使われたり、言ってもいないことを言わされたりしない ‐ 人格としての顔。もう一つは、ナレーションや歌、AI音声への許諾のように、お金を生む ‐ 財産としての顔です。声格権は、この二つを別々の権利として立てます。人格の面を守る「音声同一性保持権」は、誰にも譲れない、あなただけの権利。財産の面を担う「音声利用権」は、貸したり、譲ったり、相続したりできる権利です。
詳しくはこちら→ 声格権について詳しく知る
Q3 なぜ、わざわざ二つに分けるのですか?
著作権の世界を思い浮かべてください。作曲家が楽曲の権利を音楽出版社に譲渡しても、「自分が作者である」という立場や、作品を勝手に改変されない権利(著作者人格権)は、作者の手元に残り続けます。だから作家は、安心して作品をビジネスに乗せられるのです。声も同じです。声を仕事として貸し出しても、「その声があなたの声であること」まで手放すいわれはありません。二つに分けるからこそ、本人の尊厳を守りながら、声のビジネスを安心して広げられる ‐ ここが声格権の要です。
Q4 事務所との契約書に「声の権利は事務所に帰属する」とあります。私の声は事務所のものですか?
いいえ、そう単純ではありません。現在の法律実務では、そうした条項があっても、権利そのものが事務所に移るのではなく、通常は「事務所が独占的に利用できる許諾」と解釈されます。そして声格権の考え方に立てば、より明快です ‐ 事務所に委ねられるのは財産の面(音声利用権)だけであり、人格の面(音声同一性保持権)は、契約書に何と書いてあっても、あなたから離れません。契約書の「帰属」「譲渡」の文言に不安がある方は、利用の範囲・期間・契約終了後の音声データの扱いを、一度点検してみてください。
Q5 自分が死んだら、声はどうなりますか?
現在の法律では、ここが最大の空白です。ご本人の権利は死亡によって消え、故人の声は、ご遺族の「敬愛追慕の情」への配慮を通じて間接的に守られるにとどまります。故人の声がAIで蘇り、商品を宣伝し始めても、それを正面から止める権利は、誰の手元にも残らないおそれがあるのです。声格権は、ここに答えを持っています。音声利用権はご遺族が相続して声の利用を管理し、音声同一性保持権に基づく人格的な利益の保護は死後も観念する ‐ 亡くなった後も「その人の声」が守られる建付てです。
Q6 有名ではない自分の声も、守られますか?
人格の面では、守られる方向にあります。ひどい内容を言わされる、なりすましに使われるといった尊厳の侵害は、有名かどうかに関係なく起こるからです。他方、財産の面は事情が異なります。既存のパブリシティ権は「顧客を引きつける力」を前提とするため、駆け出しの声優や一般の方の声のライセンスには、権利の裏付けが弱いのが現実です。声格権の音声利用権は、この著名性のハードルを下げ、誰の声にも「貸せる権利」の基盤を与えることを目指しています。
Q7 ものまねやパロディは、できなくなるのですか?
なりません。人間が芸として声を似せる文化と、本人の声そのものをAIで無断複製することは、まったくの別物です。国の検討会の整理でも、ものまねは原則として問題ないとされる方向ですし、声格権の構想でも、ものまね・パロディ・批評・報道といった表現の自由に属する営みは、権利の例外として正面から組み込みます。守りたいのは文化ではなく、文化を装った複製からあなたを守ることです。
Q8 いま、自分にできることはありますか?
三つだけ挙げます。第一に、出演契約・専属契約の「声」に関する条項(利用範囲・期間・AI利用の可否・契約終了後のデータの扱い)を確認すること。第二に、無断利用を見つけたら、URL・日時・音源を保存すること ‐ 投稿者の特定に必要な記録には保存期限があり、スピードが結果を分けます。第三に、一人で抱えず、早めに専門家に相談することです。
おわりに
声は、あなたの分身です。その分身を、人格として守り、財産として活かす ‐ その両方を支える理論的な受け皿として、筆者は声格権を提唱し、研究と発信を続けています。より体系的な解説は、声格権(音声人格権)とは ‐ 声を「人格」と「財産」の二層で守る新しい権利概念をご覧ください。声のAI利用に関する契約、無断利用への対応のご相談は、当事務所までお寄せください。
執筆 ‐ 弁護士・弁理士 伊藤海(伊藤海法律事務所代表)
※本コラムは2026年8月時点の情報に基づきます。国の検討会の報告書は案の段階であり、正式公表後に内容を更新する予定です。
